大判例

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大館簡易裁判所 昭和45年(ろ)27号 判決 1971年8月10日

被告人 出川仁吉

明四一・五・一七生 雑貨商

主文

被告人は無罪。

理由

第一本件公訴事実

本件公訴事実は「被告人は自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和四五年一月九日午前一一時三〇分ごろ、軽四輪貨物自動車を運転して幅員約四・七三メートルの道路を時速約三〇キロメートルで進行し、幅員約九・五メートルの国道七号線と交差する北秋田郡鷹巣町綴子字大堤下七四番地先の交差点にさしかかり、右交差点を右折するため一時停止した際、右国道を大館方面から二ツ井方面に向かい進行してきた吉田理一(当二八年)運転の普通貨物自動車を右前方約一三〇メートルの地点に認めたのであるが、このような場合自動車運転者としては、広い道路を進行する車両の進行を妨げないでこれに進路を譲り、同車の通過を待つてはじめて進行し、事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、先に右折できるものと軽信して時速約一〇キロメートルで右折を開始した過失により、同車左前部に自車左前部を衝突させ、かつその衝突の勢いにより同車を右前方に暴走させて、折から対進して来た畠山和美(当二三年)運転の軽四輪貨物自動車に衝突させ、よつて自車に同乗していた佐藤正志(当一五年)に対し加療一ヵ月間を要する右額部裂創、頭部外傷、右畠山和美に対し加療八二日間を要する右膝蓋骨骨折、右畠山車に同乗していた畠山武三(当六一年)に対し加療二一六日間を要する右大腿骨骨折、畠山優子(当五年)に対し、加療二日間を要する額部裂創の各傷害を負わせたものである。」というものである。

第二認定し得る事実

当公判廷において取調べた本件証拠を総合すると、右の公訴事実に関連して次のような事実を認めることができる。

(一)  本件事故現場付近の状況

本件事故現場すなわち北秋田郡鷹巣町綴子字大堤下七四番地先付近は、西南方の鷹巣町から東方の大館市方面に至る国道七号線と北方の鷹巣町昭和開墾地方面から南方は昭和化学工業株式会社方面に至る道路との交差点であり、右国道七号線の幅員は九・八メートル、南北に走る道路の幅員は五メートルで十字形に交差していて、双方の道路から他方の道路への視界をさえぎるものはなく見通しは良好で、交通整理は行われておらず道路標識も存在しない。国道七号線はアスフアルト舗装され、路面にはセンターライン及び外側線が実線で表示されその交通量は極めて多量である。南北に走る道路は、非舗装で小砂利が多く、いずれも下り勾配となり、特に南方の道路は交差点の約一〇メートル前方までアスフアルトで舗装されていて、約五度の下り勾配をなしている。本件事故当日、国道七号線上には雪が道路両側に薄く残つているほか積雪はなく、ただ雪どけのため路面は湿つていた。

(二)  被告人の運転行為

被告人は、昭和三九年五月二九日秋田県公安委員会から軽免許、二輪免許をとり、本件事故に至るまで五年八ヵ月の運転経験をもち、その間交通違反の前歴はなかつた。昭和四五年一月九日午前一一時三〇分ころ、被告人は軽四輪貨物自動車を運転して本件事故現場交差点の南北に通じる道路を昭和化学から国道七号線に向けて時速約三〇キロメートルで進行しつつ同交差点に差しかかり、同交差点を大館市方面に向つて右折するため一時停止し、右前方大館市方面を見たところ、吉田理一(当二八年)の運転する普通貨物自動車が約一三〇メートル前方から二ツ井方面に向つて進行して来るのを認めた。つぎに左を見ると畠山和美(当二三年)運転の軽四輪貨物自動車が東進して来るのを認めた。被告人は、同交差点を毎日のように運転通過しているが、吉田車両と同じ地点から交差点に向けて進行して来る車両を認めながら安全に右折しえている経験を幾度も経ていたので、右吉田車両の存在を危険とは考えず、同車が交差点に接近して来る前に自車が右折し終るものと考え、停止してから三乃至四秒経過後、時速一〇キロメートルで発進し、右折を開始した。発進後、本件交差点、センターライン付近において、被告人が右前方を見ると突如として吉田車両が目前に迫つており、避ける間もなく吉田車両の左前部が、被告人車両の左前部に衝突し、被告人車は大きくはねとばされた。

(三)  吉田理一の運転行為と本件事故

吉田理一は、被告人車両を衝突前約一〇メートル前方にまで接近した段階になつてはじめて発見し、あわててクラクシヨンを鳴らしてハンドルを右に切つたが及ばず、被告人車両と衝突し、そのまま被告人車両をはねとばして右前方に走行し、急ブレーキをかけたがこれも及ばずして対進して来た前記畠山車両と衝突し、三、四メートル同車両を二ツ井方面に押し戻して停車した。右の第一次、第二次の各衝突事故により、本件公訴事実記載のとおりの傷害が発生した。

右の認定と証人吉田理一の供述とは一部重要な部分において食違つている。同人は、被告人車両をもつと早期に発見していたかの如く述べているが右の供述は信用できない。同人は捜査段階における司法警察員の実況見分に際しては被告人車両を発見したのは、同車両が「交差点から一〇メートル前方の地点である」旨指示説明し、当裁判所の検証現場においては「交差点から南方約五二メートルのところ」である旨指示説明し、その後における当公判廷での証人尋問においては「二〇メートル」といつてみたり「三〇メートル」といつてみたり「検証現場での指示説明は錯覚だつた」などといいはじめる始末でその供述は極めてあいまいであり、変転極まりない。大きな二重衝突事故において当の二重衝突車両の運転者の被疑車両の発見地点をめぐる供述がかように変転すること自体極めて不自然且つ異例ですらあり、その点だけからも同人の供述には信用力が乏しいばかりか、逆に同人が真に被告人車両を認めてはいなかつたのではないかとの疑いが強まるばかりである。その上に吉田車両は被告人車両と衝突するまで全然減速していないのであるが、本件事故現場国道七号線は、交通ひんぱんな見通しのよいアスフアルト道路であり何ら吉田車両の視界をさえぎるものとてないことから、通常に前方注視してさえいれば当然被告人車を発見しそれに対応して減速なり徐行なりの何らかの危険回避のための措置がとられてしかるべき客観的状況にあることを考えると右認定のように吉田理一は前方を注視してはいなかつたもので、そのため先に交差点に進入していた被告人車両を早期に発見することができず、被告人車両をその直前一〇メートルに至つてはじめて発見し、急拠ハンドルを右に切つたが及ばず強く被告人車両をはねとばし本件事故に至つたものと考えるほかはない。

第三注意義務の存否

右のような事実関係を基礎として、被告人に検察官が公訴事実において主張しているような業務上の注意義務があるかどうかについて検討する。

前認定のとおり本件事故現場は見とおしの良い交通整理の行われていない交差点である。ところで、道路交通法第三六条第三項にいう「幅員が広い道路から当該交差点に入ろうとする車両等があるとき」とは、幅員が広い道路上の車両等が当該交差点から如何なる距離にあつてもよいというものでは勿論ありえない。それは道路交通法の目的である「安全にして円滑」なる道路交通という政策目的に照らして解釈されなければならないし、同法上の他の規定、特に同法第三五条第一項との関連においても、その合理的な限度が画されなければならないものである。さもなければ狭い道路から交差点に進入しようとする車両は広い道路上に車両を認めた場合には常にこれに進路を譲らなければならないことになつてしまい、現下の交通事情にもそぐわないばかりか、逆に円滑なる道路交通を阻害することともなりかねないからである。しかして、その合理的な限度とは、自動車の法定最高速度である時速六〇キロメートルの制動距離をもつてすれば必要にして十分と考えられる。かように解してはじめて狭い道路上の車両、広い道路上の車両の双方の円滑な運行と道路交通の安全との調和が図られるばかりか同法第三五条第一項との関連も明らかになるからである。

さて、本件事故現場国道七号線の如き湿つたアスフアルト道路の場合における時速六〇キロメートルの制動距離は三四・七メートルであるから、本件においては被告人車両が交差点から前方三四・七メートルの範囲内に吉田車両が進入していたのにもかかわらずあえて右折のため発進したのでなければ法第三六条第三項違反とはならないと解せられる。

ところで前認定のとおり、被告人は一時停止して右を見たが一三〇メートル前方の地点に吉田車両を認め、さらに左方を確認した上、停止後三ないし四秒ののち時速一〇キロメートルの速度で右折を開始したものであるが、仮に吉田車両が法定制限速度の時速六〇キロメートルで進行していたとすると、被告人車両が停止して右折のため発進するまでの間すなわち最大限四秒間の間に六六・六七メートル進んでいる筈であり、被告人車両が右折発進する際には吉田車両と交差点との距離は六三・三三メートルであつた筈である。してみると右吉田車両が法定制限速度で走行していたかぎりにおいては同車両は同法第三六条第三項にいう「幅員が広い道路から当該交差点に入ろうとする」ときに該当しないことが明らかであり、被告人には同条項に基く同車両の「進行を妨げてはならない」旨の注意義務があるとはいえない。

ところで、このような場合、右側方から本件交差点に進入して来た吉田車両には、交差点の途中において被告人車両が右折の途中なのであるから当然被告人車両の進行を妨げることなくこれを優先させるべき法律上の義務(同法第三五条第一項)があり、右吉田としては須く減速徐行するか停止するかの措置を講じて交差点の進路が空くのを待つべきである。しかるに右吉田は被告人車両と衝突するまで全然減速しなかつたことを自ら認めているが、それのみならず検察官の主張によるも同人は法定制限速度を超える時速七〇キロメートル位で走行していたとされ(実際にはさらにそれ以上の速度で走行していた疑いが極めて濃厚である)、さらに前述のとおり同人は前方不注視の法規違反も犯しており、そのことが何ら減速することなく本件交差点に進入した原因となつたものであり、かような吉田理一の法規に違反した運転が本件事故の原因であることは否定できない。

しかし右吉田の過失はともかくそれを前提にした上で被告人にも過失があつた否かにつきさらに検討してみると、本件のように交通整理の行われていない交差点に被告人車両が時速一〇キロメートルで右折のため進入するに際し、吉田がかような法規違反の運転をしており、又なし続けるであろうと予見することは特別の事情のないかぎり不可能というほかなく、被告人としては吉田車両が交通法規を守り自車との衝突を回避するため適切な行動に出ることを信頼して運転すれば足るものであつて、吉田車両があえて交通法規を無視し、法定の速度を超え、前方不注視のまま、しかも同法第三五条第一項の義務にも反して交差点に進入して来ることまでをも予想し、事故の発生を慮つて交差点に進入することを見合わせるべき義務はないというほかはない。

従つて被告人においては、検察官主張のような同法第三六条第三項に従い吉田車両の進行を妨げてはならない旨の義務は存在しない。

第四結論

以上のとおりであるから、被告人には検察官主張のような注意義務を怠つた過失があるということはできず、したがつて被告人の本件行為は罪とならないものというべきであり、刑事訴訟法第三三六条に則り被告人に対して無罪の言渡をする。

よつて主文のとおり判決する。

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